*広島大学 名誉教授塑性加工において摩擦と潤滑は極めて重要な役割を果たしています。とくに塑性加工では材料が塑性変形することによって常に新しい表面が形成されながら工具と材料の間の摩擦が生じるという複雑な状況があります。摩擦抵抗はある場合にはプラスに働き、ある場合にはマイナス要因になります。例えば、板材の深絞り加工を考えると、板材が流れ込むダイス側は摩擦抵抗ができるだけ少なくしたいが、パンチ側は摩擦によってパンチ力を保持するために摩擦抵抗を大きくするように無潤滑とします。多くの塑性加工の教科書では、摩擦と潤滑について、大きく二つの立場から取り扱っています。ひとつは、摩擦や潤滑の機構を説明する物理・化学ともいえるトライボロジーです。そこでは金属表面の構造と面の接触状態や摩擦機構、潤滑の流体力学、凝着、工具摩耗などが記述されています。もうひとつは摩擦係数のマクロモデルとその塑性加工解析への応用です。古典的な解法でも、例えばカルマンの圧延方程式では摩擦係数が重要な役割を果たしており、バルクの摩擦係数(または摩擦せん断応力)を求めるリング圧縮法などもあります。最近では、有限要素法(FEM)による高精度な塑性加工シミュレーション(CAE)が板成形、バルク加工、圧延、引抜き・押出し、切削など多くの分野で積極的に活用されています。私は主に板材成形分野で研究をしてきましたが、少しこの分野のCAEの発展を見てみます。1970年代の後半から板材成形シミュレーションなどに応用できるような大変形有限要素法の定式化が精力的になされ、1980年代後半から国際会議で板材成形シミュレーションの計算例が発表されるようになってきており、1990年代の後半には市販の板材成形シミュレーションソフトが産業界で使われはじめました。2000年代の前半まではFEMシミュレーションの高精度化の主な関心事は要素の種類、接触問題のアルゴリズムなどのFEM定式化そのものに関わる件についてでした。しかし、高張力鋼板のスプリングバックが大きな問題となったという産業界の事情もあり、2000年代の後半からは材料モデル(弾塑性構成式)の研究が板材成形分野での主流となってきました。CAEで活用する材料モデルはマクロモデルですが、これは板の異方性やバウシンガー効果といった板成形に関連する重要な材料特性を精度良く表すことが求められています。一方、結晶塑性に代表されるメゾ−ミクロモデル(材料の変形の素過程に着目したモデル)の研究も材料学とリンクしながら進んでおり、これらのミクロ−メゾ−マクロをつなぐマルチスケールモデリングは重要な研究分野となっています。この材料モデル研究と、摩擦・潤滑の研究の構造はかなり似ているように思えます。摩擦や潤滑の機構の研究から出発するトライボロジーはいうならばミクロ−メゾモデルで、一方、CAEに活用される摩擦係数の圧力や速度依存性モデルなどはマクロモデルといえます。この二つは当然つながっていますが、現状では摩擦・潤滑のトライボロジーはやはり定性的で、ミクロ−メゾモデルから出発してマクロな摩擦係数を予測できるようになるのにはもう少し時間がいるような気がします。ただ、このようなアプローチを取り入れた市販の板材成形シミュレーションソフトがごく最近発表されていますので、これからは現場でその真価が試されるように思います。こうした摩擦・潤滑におけるマルチスケールモデリングは今後のこの分野のひとつの発展方向のように思えます。一方で、成形部位ごとに工具面圧や材料の滑り速度を特定して、それに合わせた摩擦係数を選択するといった現実的なアプローチもCAEの高精度化のための重要な方向性と思います。天田財団は、これまで塑性加工分野に対し研究助成を通じて、その発展に大きな貢献をしてきました。また、常に最新の研究を発表して、その成果を普及する場を提供しています。2018FTRの特集テーマが「塑性加工における摩擦と潤滑」であるのはまさに時宜にかなった企画と言えます。この分野の益々の発展を願い、天田財団の公益事業への一層のご理解とご参加をお願い申し上げます。- 7 -説苑塑性加工における摩擦と潤滑の研究への期待吉田 総仁*F. Yoshida
元のページ ../index.html#9