◆追 悼◆ 公益財団法人天田財団において、2015〜2020年の3期6年代表理事理事長を務められた、元㈱アマダ会長・社長・名誉相談役の岡本満夫氏が2月16日に亡くなられました。享年80歳でした。 氏は、東京都出身。1968年に明治大学工学部を卒業後、1972年に㈱アマダに入社。2003年に社長に就任され、アマダ社長兼最高経営責任者(CEO)など、17年間にわたって経営の重責を果たされました。当財団との関わりでは、2002年から1期2年、2011〜2014年の2期4年を評議員としてご支援いただき、2015〜2020年の3期6年は代表理事理事長としてご指導いただきました。 財団設立の1987年から30年の長きにわたって、評議員や理事として財団運営に携われた東京大学名誉教授で、木内研究室の代表でもある木内学様(元天田財団理◆ 追悼メッセージ 東京大学・木内学名誉教授 岡本氏と直接お話しするようになったのは、私が本財団の理事と研究助成選考委員長を務めていた2016年頃からです。独特の風貌を備えておられ、なぜか私は歴史小説に描かれている源義経・四天王のひとり、伊勢義盛を連想しました。こわもてにもかかわらず、話をしていく中で時々見られる笑顔が印象的でした。戦国武将には、合戦に臨んで先頭に立って率先垂範するタイプと、後方に陣取って指揮するタイプがありますが、氏は率先垂範の謙信型だと思いました。判断力、決断力、実行力、強いリーダーシップなどの素養をすべて備えた方でした。 氏の社長在任中、日本ではバブル崩壊、グローバル化、製造拠点の海外流出、技術移転がもたらした近隣諸国からの低価格品の流入などが、国内産業の疲弊につながり、結果、デフレが進行。さらに、バブル後遺症による社会的・経済的混乱によりデジタル技術の広範かつ爆発的な進展に乗り遅れ、その結果、日本の製造業の技術的優位性の喪失など、幾重にも重なった課題が襲いかかってきました。かかる状況に直面して、多くの経営者が、低賃金国での製造に依存したコストカットという見かけ合理化に走り、苦しい技術革新や製品開発を回避してきました。 しかし、氏は、このような時期でも、自前の技術開発に徹底してこだわり、強力な指導力により㈱アマダをあるべき方向へ牽引されました。特に、レーザ加工技術の拡充・拡張には全力を挙げて取り組まれ、多くの関連製品の開発にも成功されました。結果、氏は、板金加工機械・システムのメーカーとして、㈱アマダを文字どおり世界のトップ事)に、氏の印象を語っていただきました。企業に育てあげられました。まさに、「アマダ中興の祖」と申し上げてしかるべきかと思います。 氏は、当財団が助成した大学・公設機関における研究成果の普及啓発にも力を入れてこられました。一時期は九州や北陸で、地元の金属加工企業や大学などと連携した講演会や交流会の開催に尽力されていました。当財団は公益団体であるため、氏は、そうした活動を通じて産学連携のネットワークを広げるという強い使命感と意志をお持ちでした。 最後に、私事に関わりますが、私が当財団の理事を退任する際には「卒業式」という名目で祝宴を開いていただきました。大変目配りの温かいお人柄であったと、ありがたく、印象深い思い出となっています。 今回思いがけず、氏のご逝去の報に接し、“一代の英傑去る”の念を深くしました。心よりご冥福をお祈りいたします。19「2019年度助成式典」で目録を贈呈する岡本満夫元代表理事理事長(右)(左は電気通信大学・久保木孝教授)岡本満夫氏について語る、東京大学・木内学名誉教授(元天田財団理事)元代表理事理事長・岡本満夫氏を偲んで
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